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知られざるシンガポールの宗教スポット

人と文化と伝統が常に溶け合っているシンガポール。宗教的な場所や宗教施設が多いのもうなずけます。非常に有名で人が大勢集まるところがあれば、人気のない静かなたたずまいを見せるところもあります。ここでは、おそらくまだ知られていないシンガポールの宗教的な場所を5か所紹介いたします。

ハジャー・ファティマ・モスクは、ヨーロッパ、中国とムーア建築のユニークなブレンドで、それはミナレット塔とメッカに面するねじれた位置で容易に区別できます。このモスクはヨーロッパの建築家ジョン・ターンブル・トムソンが設計し、1846年に完成しました。建設資金は、地元の貴族で裕福な事業家ハジャー・ファティマが提供し、彼の名前が付けられました。

ハジャー・ファティマ・モスクは、近隣の歴史的な村カンポン・グラムに位置し、イスラム教とキリスト教両方の宗教的アイコンがあります。この建築は1973年以来官報告示の国定モニュメントとなっております。

シラット・ロード・グルドワラは、シンガポールの中央ビジネス地区の端にあるシク教寺院です。礼拝や祝福で訪れるシク教徒や地元の人々に親しまれています。シンガポールにあるすべてのグルドワラと同様に、シラット・ロード・グルドワラでも食事が無料でふるまわれ、誰でも泊めてもらうことができます。1階と2階に祭壇があり、信徒や見学者は、まず祈りの間に入り、聖典を参拝します。賽銭箱にいくらかいれた後、座って祈りを聞ききます。

来訪者は、礼拝ホールに入る時には靴を脱ぎ、頭をカバーし、わずかな寄付が期待されています。中に入った後数分間祈りを聞いて過ごし、それからベジタリアンの食事ができるランガー・ホール (フードホール) へ行くのが普通です。

大通りから少し上がると見えてくる、なだらかな丘陵と緑豊かな別世界デンプシー・ヒルには、セント・ジョージ教会があります。近くにはオーストラリアとイギリスの高等弁務官事務所やアメリカ大使館があるこの英国国教会は、建築家エドウィン・ラッチェンスの指揮のもとで1910年に建設されました。建材の多くはイングランドから直輸入されました。

第二次世界大戦中には日本軍の武器集積所として使用され、教会は戦争を生き延びましたが、チャペルは残りませんでした。このチャペルにはステンドグラスの窓があり、損傷から保護するため取り外されていましたが、盗まれてしまいました。しかし、戦時中に彼が死亡したため、ステンドグラスの窓がもとに戻されることはなく、結局、1950年代に新しいものが取り付けられました。

Yin Foh Kuan Memorial cemetery

イン・フォ・クアン記念墓地は、お洒落な地区ホランド・ビレッジに近い華人街にあります。シンガポールに入植した第一世代の華人組合によって1887年に建設されました。墓地は今も現存しており、多くのメンバーの遺骨が埋葬されています。土地はイギリス政府から取得し、ツイン・ドラゴン・ヒルズと呼ばれていました。

この土地はシンガポール独立以来政府の管理下に戻されましたが、イン・フォー・クアン墓地自体は現在まで残っております。敷地内には2700以上の伝統的な客家 (ハッカ) の墓石および著名な客家一族に属する8つの大きなお墓を収容しています。

中元節中には、いつのまにか宗教的な場面に遭遇しているということがあるかもしれません。毎年8月に始まるこの祭りは、さまよう幽霊の魂を鎮めるために行われており、「ヘル・マネー(あの世で使うお金)」と呼ばれる供え物を缶に入れて燃やします。線香や食べ物が一緒に添えられていることもあり、シンガポールのいたるところでこの缶を目にすることでしょう。中元節の期間中、この儀式が行われた場所は恐れられています。